3TFW
フィリピンのクラークABに駐留していた部隊である。アメリカ空軍で最も古い航空団の1つで 1919年にその前身である飛行大隊が創設されている、何とWWTから戦場に出ている部隊で フランスに派遣され連合軍の航空支援に活躍した。太平洋戦争当時は、第3爆撃大隊としてA-20Aハボックを使用し オーストラリアからニューギニア方面の日本軍の拠点や輸送船団の爆撃に従事している。以前 太平洋戦争の写真集の中に ニューギニア近海の日本軍の輸送船団に対しスキップ・ボミングによる超低空爆撃を行う第3爆撃大隊のA-20を僚機から撮影した一連の写真があったが、衝撃的なものだった。3rd BGのA-20Aには当時シャークマウスを入れた機体もあった。ベトナム戦では F-100スーパーセーバー5個飛行隊で 当時の南ベトナム ビェンホォア空軍基地に展開 20万回をこえる出撃をした歴戦の部隊と言うことである。こうした歴史を持つ部隊は、軍縮などで戦力削減(航空団などの削減)が行われても 名前が必ず残っていく。ベトナム戦争後 一時解体されたが 1974年にフィリピンのクラークに第3戦術戦闘機航空団として復活をとげ 米軍のフィリピンからの撤収により再び解隊かと思いきや アラスカ軍団がなくなる事に伴い再度PACAFの傘下となり エルメンドルフAFBにて3rd FWとして蘇っている。  
26th TFTS (T-38A/F-5E)
3TFS / 90TFS  (F-4E/G)
当時のフィリピンのクラーク空軍基地は、エプロンだけで500000uと言う広大なもので(と言っても 私自身は見たことが無いので、どれだけの広さなのか感覚的には判らない) 燃料貯蔵タンクが、ニューヨークのケネディー空港と同じ規模のものを持っていたそうであるから 相当な規模であったことは想像できる。隣接するクロウ・バレイ射爆場は、実戦に則した航空戦闘の出来る西太平洋唯一の射爆場で これまた とてつもなく広大だった。クロウ・バレイについては、テレビの特番でよく取り上げられたので、コープ・ノース訓練の風景などを見たことがあるが、SAMサイトや航空基地が再現され、対地上攻撃の訓練に使用されていたところ等、アメリカ本国ネバダ州の訓練場に近い大規模なものであった。アジア地域に 仮想敵機空中戦訓練部隊アグレッサ−飛行隊を置いたのも この演習場が存在したからである。この基地には任務が大きく分けて2つあり 1つが前述した米海軍/空軍の各種航空訓練、もう1つが西太平洋とインド洋の兵站の中継基地としての役割であった。その後 米軍のフィリピンからの引き上げで クラークAB、スービック海軍基地、キュービー・ポイントなど 重要だったフィリピンの中継基地はなくなったが 現在はインド洋のディエゴ・ガルシア基地がこれらの役割を継承している。この事は、湾岸戦争/対テロの「不朽の自由作戦」などでお分かりだと思う。  
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